カテゴリ検索 学ぶ 活かす 守る 全て 歴史 技術 水利用 親水 管理 見学会 全て 水利用 親水 全て 管理 行事 清掃 補修 辰巳ダム 下流金沢市街地中心部を洪水から守るとともに、地域の歴史と伝統を尊重したダムです。 辰巳ダム展望デッキと案内板 辰巳ダム管理棟に併設された展望デッキからは東岩取入口や隧道の横穴を眺望することができ、案内板が設置されています。 東岩取入口 辰巳用水の取入口は寛永9(1632)年に雉の取入口が完成後、移設により現在の東岩取入口になりました。 素掘り隧道 横穴 横穴が20~30m間隔で開口されており、工期短縮のための工法として用いられたものといわれています。 素掘り隧道 代表断面とタンコロ穴に燈明 延長は全部で約4km、大きさは幅約2m、高さ約2.5mの素掘りの隧道で、往時の姿を残している箇所が多いです。 素掘り隧道 東岩取入口~旧古河口間地点 東岩取入口から旧古河口までの区間は良好な状態が保たれており、ノミ跡も鮮明に見ることができます。 旧古河口 古河口旧取入口は新辰巳発電所により取入口部は失われていますが、吐き水門(放水門)の構造が残り、定期的に管理されています。 雉取入口跡 辰巳用水築造当初の取入口で、鶏(にわとり)取入口とも呼ばれています。後にさらに上流の東岩へと移されました。 素掘り隧道 隧道見学会区間上流地点 過去に天井木(天井に使われる木)で隧道天端(一番高い部分)を補強していたと思われる跡が壁面に残っています。 小学生の隧道見学会 上辰巳町地内 希望者に隧道内部を公開しています。近くの小学校が総合学習として毎年隧道内部を見学し、辰巳用水の歴史を学んでいるところです。 素掘り隧道 隧道見学会区間 毎年開催される隧道見学会で通る区間で、良好な隧道の状況を見ることができます。 素掘り隧道横穴 隧道見学会区間 毎年開催される隧道見学会で通る区間で、見学会では良好な隧道の状況を見ることができます。 隧道横穴 隧道見学会区間 例年開催される辰巳用水隧道見学会の際に出入り口として利用される横穴から隧道内を覗き見ることができます。 清浄が滝水門 隧道排水 「しょうじょうがたき」と呼ばれる滝が、辰巳用水隧道上の沢を流れ落ちています。その脇に清浄ヶ滝水門(放水門)があります。 三段石垣 昔は石垣付近を犀川が流れ、崖を侵食して辰巳用水を脅かしていたようで、石垣で斜面を補強し辰巳用水を守っていると考えられます。 素掘り隧道 三段石垣下流地点 「天保十」という彫込が壁面に残されているあたりの一帯は地盤が緩く、山肌沿いに隧道を掘ることができなかったため、大きく迂回して掘り進められた区間です。 素掘り隧道 彦兵衛穴下流地点 彦兵衛穴と呼ばれる横穴付近の隧道。比較的良好な状態です。 素掘り隧道 彦兵衛穴下流地点 この一帯は大きく迂回して掘り進められた区間で、迷いながら掘り進んだと思われる隧道跡が残されています。 素掘り隧道横穴 辰巳町日吉神社付近地点 辰巳町地内の横穴で、現在でも隧道内の点検管理の折に出入口として使用されています。 素掘り隧道 辰巳町日吉神社付近地点 辰巳町日吉神社付近の隧道は、所々に切石積みなどで補修されている区間があります。 素掘り隧道 辰巳町日吉神社下流地点 この一帯は地盤が比較的良好で、隧道も健全な状態で残されています。 素掘り隧道 辰巳町日吉神社下流地点 この一帯は比較的良好な状態で隧道が残されています。 素掘り隧道 辰巳町日吉神社下流地点 比較的良好な状態で残されている区間ですが、所々で側壁部分に流水による洗堀がみられます。 素掘り隧道 滝亭上流地点 この一帯は隧道外側に管理用通路跡が残されている区間です。(注意:隧道内へは許可無く立ち入ることはできません。また極めて危険です。) 素掘り隧道 滝亭上流地点 比較的良好な状態の素掘り隧道の様子を見ることができます。 素掘り隧道 滝亭~滝乃荘間 隧道の途中には何箇所か開水路の区間があります。ここはその開水路の手前。自然光が差し込んでいます。 開水路 末町地内 開水路から隧道への入口。隧道が切石積みで修復されているのがよく分かります。 素掘り隧道 末町地内 この界隈は安定した状態で素掘り隧道が残されています。 兼六園専用管呑口 末町の犀川浄水場付近にある兼六園への専用管入口で、開水路を流れる辰巳用水とは別に専用管で水が兼六園まで運ばれます。 用水路 末町地内 犀川浄水場の下流。末町地内の住宅街の横をひっそりと流れています。 大道割放水門 辰巳用水隧道が大道割の谷を大きく迂回する場所に大道割放水門があります。かつての谷の一部は埋め立てられ、今は緑化木センターがあります。 土清水塩硝蔵跡 藩政期に加賀藩が設置した黒色火薬製造施設で、黒色火薬の製造には辰巳用水の水流が動力源として利用されていました。 遊歩道案内板 えんしょう坂下 えんしょう坂下、塩硝蔵跡付近に国史跡辰巳用水と附土清水塩硝蔵跡の案内説明板と、遊歩道周辺の主な動物を紹介する案内板が設置されています。 えんしょう坂案内板 えんしょう坂下 かつて五箇山方面から火薬の原料を塩硝蔵まで運ぶ際に通っていたことが坂道の由来となっています。 動物の案内板 涌波堤公園付近 辰巳用水遊歩道周辺に生息する主な動物を紹介。 植物の案内板 涌波堤公園付近 辰巳用水遊歩道周辺の主な植物について紹介。 遊歩道 涌波地内 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。昔は馬で管理をしていたそうです。 植物の案内板 涌波小緑地坂付近 辰巳用水遊歩道周辺の主な植物について紹介しています。 遊歩道 涌波4丁目付近 辰巳用水と並走する遊歩道は約2kmで、四季折々の自然豊かな散歩道として市民に親しまれています。 遊歩道 涌波4丁目付近 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。 遊歩道案内板 遊歩道錦町口付近 辰巳用水遊歩道の錦町口からしばらく上流側へ行くと全体案内板があります。 疏水百選案内板 小立野通りマルエー前 疏水百選に選定されたことを記念して、きんしん環境財団が寄贈されました。 国史跡案内板 天徳院前 かつて天徳院境内地沿いを流れていた辰巳用水の流路は、今も変わらず藩政時代と同じ位置を流れています。 石碑、国史跡案内板 金沢くらしの博物館前 国史跡辰巳用水の石碑とともに案内説明板が金沢くらしの博物館前の用水沿いに設置されています。 史跡石碑・案内板 北陸学院・ウイン館前 金沢医療センターから北陸学院一帯は、かつて加賀八家の一つであった奥村家の屋敷地で、今も屋敷土塀が残されており、土塀沿いを流れる辰巳用水は当時の風情を偲ばせています。 辰巳用水専用管管理蓋 兼六園専用管の位置を示す管理蓋が道路上の所々に設置されています。 兼六園 沈砂池 兼六園専用管から運ばれた用水の水が兼六園入口で顔を出します。ここで流れを遅くすることで、砂が重さによって沈み、水と分離されます。 兼六園 曲水 辰巳用水は兼六園の見どころである曲水には欠かせません。 逆サイフォン(石管)の吞口と二条管 辰巳用水の建設技術で最も関心が高く、注目されている逆サイフォンの吞口(取入口)と二条の石管。吞口は過去変遷しています。 逆サイフォンによりお城へ向かうー1 霞が池のことじ灯籠脇の吞口から続く石管は、寄観亭裏の大きなため升に繋がっています。これより先は逆サイフォンの原理により石川門からお城の中へと水が注がれていました。 逆サイフォンによりお城へ向かうー2 逆サイフォンの原理により、寄観亭裏の大きなため升から、石管一条が寄観亭下をくぐり、石川門へ向かっていました。 板屋神社遥拝所(金沢神社) 兼六園横の金沢神社境内に板屋神社の遥拝所が設けられています。 石管 兼六園・金沢城管理事務所室裏 このような形で置かれている石管が所々にあります。 逆サイフォンルート 石川橋 逆サイフォンの石管が通っていた現在の石川橋界隈。藩政時代は土橋だった石川橋の土手の中を通って、石管は石川門へと向かっていました。 逆サイフォンルート 石川門 現在の兼六園から逆サイフォンの原理で送水されていた辰巳用水は現在の石川橋が土橋であった頃、その土堤の中を通り石川門升形を抜け城内へ導かれていました。 金沢城公園 石管 金沢城公園内で展示されている石管。 金沢城公園 説明版と土木学会選奨土木遺産銘板(伏せ越し) 説明板の下方には、土木学会選奨土木遺産であることの証の一つとして、銘板が設置されています。 金沢城公園 内堀 江戸期には、辰巳用水は堀の水として重要な役割を担っていました。 玉泉院丸庭園 加賀藩二代目藩主利長正室の玉泉院ゆかりの庭園で、三代藩主利常による作庭から廃藩まで、歴代藩主が愛でた庭園です。 いもり堀 明治40(1907)年に埋め立てられたいもり堀は平成22(2010)年に復元、現在の姿になりました。 石川県歴史博物館 石管モニュメント 歴史博物館の水のモニュメントとして辰巳用水の石管が活かされています。冬期間は凍害防止のため、石管は「こも(わらで編んだむしろ)」で巻かれ保護されています。 西外惣構跡 市役所沿い 金沢城下の防御ラインとして築かれた西外惣構から成る防御施設)は、現在の21世紀美術館沿いから市役所裏の断崖沿いに位置しています。 霞が滝・八坂 かつて兼六園から続く東外惣構の堀は、八坂横を滝となって流れ落ちていたという。地形を読み解き築かれた惣構。技術の高さと歴史の流れが感じられます。 東内惣構跡石碑 兼六お踊り沿い 2代藩主の頃に築かれた金沢城下の防衛ライン「東内惣構」は、今は堀跡の水路に、兼六園から玉泉園に分け与えられたと伝わる辰巳用水が流れています。 東内惣構跡 兼六元町地内 浅野川の河岸段丘沿いに設けられた東内惣構は、現在では宅地の裏側や道路下の暗きょとなっており、人目につきにくくなっています。 東外惣構跡 橋場町地内 現在の兼六園小立野口近くの八坂沿いに端を発した東外惣構は、その後源太郎川と合流し、加賀藩以前に成立したとされる尾山八町の一つ材木町に沿って現在も流れ下っています。 東外惣構跡 並木町地内 八坂沿いに端を発した東外惣構は、その後源太郎川と合流し、最後は浅野川大橋の直上流側で浅野川に注いでいます。 東内惣構跡 尾張町地内金沢文芸館横 城下町金沢周遊バスの橋場町バス停前に、かつて東内惣構が築かれていた所が一部復元整備されています。 東内惣構跡見学所 尾張町地内枯木橋下流地点 かつて東内惣構が築かれていた所を一部復元整備し、まちかどの休憩ポイントして公開されています。堀跡の水路には兼六園の落水が流れています。 東内惣構跡 主計町地内浅野川大橋下流地点 東内惣構の堀跡水路の吐き口が、浅野川大橋下流側の袂にあります。伝統的建造物群保存地区の主計町茶屋街の入口に位置しています。 西内惣構跡 主計町緑水苑内 旧金谷出丸あたりから続いていた西内惣構の堀跡の水路は、近江町市場を過ぎたところで一部途切れています。緑水苑内ではかつての惣構が一部復元されています。 石管 尾山神社西内惣構跡 かつての西内惣構の土居跡に石管が展示されています。 石管 尾山神社境内 尾山神社境内に置かれた石管で、大変わかりやすい場所に設置されています。 西内惣構堀跡 近江町市場内 兼六園落水などが流れる西内惣構の堀跡水路が、近江町市場内を通路下の暗渠(道路下に埋設してあって、水面が見えないように、ふたがしてある通水路)となって通っています。 西外惣構跡 升形遺構 金沢城下の防衛ラインとして築かれた惣構。北前船寄港地であった現在の金石へ通じる街道と惣構の交わる箇所に、惣構升形の一部が復元されています。 西外惣構案内板 駅通り歩道沿い 藩政時代、金沢城下の防衛ラインとして築かれた西外惣構が位置し、今も堀跡の水路には辰巳用水の水が流れています。 木管 石引地内 かつて金沢城に水を送るための仕掛け「逆サイフォン」の管路として用いられていた木管が、石引1~4丁目地内の道路改良工事中に辰巳用水路底下から発見されました。 兼六園専用管呑口 末町の犀川浄水場付近にある兼六園への専用管入口で、開水路を流れる辰巳用水とは別に専用管で水が兼六園まで運ばれます。 遊歩道 大桑町地内 ここは辰巳用水遊歩道の上流側入口です。下流側の錦町入口まで約2kmあります。 遊歩道 大桑町地内 段丘沿いを流れる辰巳用水の清らかな流れを眺めながら散策が楽しめます。 遊歩道 大桑町地内 のどかな果樹園の景色を眺められます。 遊歩道 大桑町地内 大桑町の果樹園沿いの遊歩道では、小立野台の斜面緑地に沿って緩やかに流れる辰巳用水の清らかな流れを見ることができます。 遊歩道 塩硝蔵跡付近 加賀藩の火薬製造所だった塩硝蔵跡一帯。辰巳用水の流れを利用した水車動力により火薬を精製していました。 遊歩道 涌波堤公園付近 涌波堤公園せせらぎの取り入れ口。この一帯はホタルがよく見られます。 遊歩道 涌波地内 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。昔は馬で管理をしていたそうです。 遊歩道 涌波小緑地坂付近 緑の遊歩道を抜けると涌波小緑地坂と交わります。 遊歩道 土清水口バス停下 土清水口バス停に通じる階段道と小橋。 遊歩道 涌波地内 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。 遊歩道 涌波4丁目付近 辰巳用水と並走する遊歩道は約2kmで、四季折々の自然豊かな散歩道として市民に親しまれています。 遊歩道 涌波4丁目付近 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。 こうど(洗い場) 錦町地内 かつて洗い場として利用されていた階段「こうど」が残されています。 辰巳用水遊歩道 錦町口 自然豊かな辰巳用水遊歩道の錦町口。辰巳用水の管理通路を利用した遊歩道はここ錦町交差点の脇から大道割までの約2㎞に及びます。 小立野児童公園沿いせせらぎ 小立野通りと並行する路地沿いを流れる区間の大半は道路下の暗きょとなっていますが、小立野児童公園沿いだけは開水路となって流れ、せせらぎ音が住宅街に潤いを与えています。 新県立図書館、金沢美大周辺せせらぎ 現在、建設中の県立図書館、金沢美術工芸大学キャンパス(いずれも2021年現在建設中)沿いは、辰巳用水の流れを活かした遊歩道が整備されています(2021年現在整備中)。 新県立図書館付近せせらぎ 新県立図書館、金沢美術工芸大学の移転新築に合わせて、その周辺を流れる区間が石積み護岸などにより綺麗に修景整備されました。 小立野通りせせらぎ 小立野二丁目地内 スーパーマーケットなどが立ち並ぶ商業エリアに、辰巳用水の流れが潤いを与えています。 こうど(洗い場) 小立野二丁目地内 現在も野菜などの洗い場として活用されています。また、コミュニケーションの場としても貴重な存在です。 天徳院周辺せせらぎ-1 かつて天徳院の境内は現在よりも大きく、その敷地の外周を堀として兼用し流れていました。その後も用水路の位置は変わっていないため、小立野通りに対してジグザグな形となっています。 天徳院周辺せせらぎ-2 かつて天徳院の境内は現在よりも大きく、その敷地の外周を堀として兼用し流れていました。その後も用水路の位置は変わっていないため、小立野通りに対してジグザグな形となっています。 天徳院周辺せせらぎ-3 こうど(洗い場) かつて天徳院の境内は現在よりも大きく、その敷地の外周を堀として兼用し流れていました。洗い場として利用されていた「こうど」は今は用水管理用として使われています。 石引広見せせらぎ 金沢大学付属病院前 金沢大学附属病院前の石引広見(広く開かれた空間)には、辰巳用水の流れを引き込んだせせらぎが設けられ、街並みに潤いを与えています。 小立野通りせせらぎ 医療センター前 金沢医療センターから北陸学院一帯は、かつて加賀八家の一つであった奥村家の屋敷地でした。今も塀沿いを流れる辰巳用水は当時の風情を偲ばせています。 兼六園 曲水 辰巳用水は兼六園の見どころである曲水には欠かせません。 兼六園 霞が池 名称兼六園を象徴する霞が池を潤す辰巳用水。四季折々の風情を醸し出しています。 金沢城内堀-1 江戸期には、辰巳用水は堀の水として重要な役割を担っていました。 金沢城内堀-2 江戸期には、辰巳用水は堀の水として重要な役割を担っていました。 玉泉院丸庭園 二代目藩主利長正室の玉泉院ゆかりの庭園で、加賀藩三代藩主前田利常による作庭から廃藩まで、歴代藩主が愛でた庭園が、平成27(2015)年3月に復元整備されました。 いもり堀-1 明治40(1907)年に埋め立てられたいもり堀は平成22(2010年)に復元、現在の姿になりました。堀の水は兼六園からの落水を分水し利用されています。 いもり堀-2 明治40(1907)年に埋め立てられたいもり堀は平成22(2010年)に復元、現在の姿になりました。堀の水は兼六園からの落水を分水し利用されています。 広坂 兼六園横の広坂を兼六園に入らなかった辰巳用水の分水が流れ下り、市役所前の広坂通りを潤しています。 兼六園落水 兼六園霞が池と瓢池を潤した辰巳用水は、お堀通りと並行する蓮池門前通り沿いへ落水となって流れる。これより下流では広坂通り、尾山神社前、駅通り歩道などのせせらぎとして利用されています。 広坂通りせせらぎ-1 金沢市役所前の広坂通りの中央には、広坂から流れ来る辰巳用水分水と兼六園落水が合わさって流れています。 広坂通りせせらぎ-2 兼六園の落水や広坂を流れ下った辰巳用水は広坂通り兼六園真弓坂前で合流し、広坂通りの中央を流れています。 しいのき迎賓館広場せせらぎ-1 石川県庁跡地のしいのき迎賓館広場には、兼六園からの落水がせせらぎとして利用され、水と緑のやすらぎ空間を演出しています。 しいのき迎賓館広場せせらぎ-2 石川県庁跡地のしいのき迎賓館広場には、兼六園からの落水がせせらぎとして利用され、水と緑のやすらぎ空間を演出しています。 能楽堂前せせらぎ 護国神社から能楽堂前の歩道沿いには、小立野通りを開水路で流れてきた辰巳用水の分水がせせらぎとなって流れています。四季折々の風情を醸し出しています。 本多の森せせらぎ 県立美術館と国立工芸館の間を辰巳用水分水のせせらぎが流れ、本多の森に潤いとやすらぎを与えています。 美術の小径 滝 県立美術館と中村記念美術館を結ぶ美術の小径沿いには、辰巳用水の分水が滝となって流れ落ちています。 石川県歴史博物館 石管モニュメント 歴史博物館の水のモニュメントとして石管が活かされています。冬期間は凍害防止のため石管は「こも」で巻かれ保護されています。 西外惣構跡 金沢21世紀美術館沿い かつて金沢城下の防御ラインとして築かれた西外惣構。その堀跡の大きな水路には今も辰巳用水の分水が流れています。 柿木畠せせらぎ 本多公園から続く西外惣構の堀跡の水路は柿木畠で鞍月用水と合流します。柿木畠には広見と呼ばれる広場があり、鞍月用水と合流した辰巳用水の水は香林坊へと流れていきます。 西内惣構跡 尾山神社前 尾山神社前にはかつての西内惣構が位置しています。その堀跡の水路の一部が開渠化され、兼六園の落水などのせせらぎが見えるようになりました。 駅通りせせらぎ専用管分水施設 兼六園落水などが流れる西内惣構の堀跡水路が、近江町市場内へと向かう十間町口前。流水を駅通り歩道のせせらぎ水路へ導水するための分水施設が道路下にひっそりと設けられています。 玉川公園沿いせせらぎ 玉川公園の東側にはかつて西外惣構がありました。今はその堀跡が一部残されています。それと並行して公園沿いにせせらぎが設けられ、辰巳用水の分水や兼六園の落水が流れています。 西外惣構跡 安江町地内 かつての西外惣構の升形付近は市街地再開発事業により改変されましたが、堀跡の水路は石積み護岸で修景され、今も辰巳用水の分水と兼六園の落水が合わさって流れています。 西外惣構跡 東別院沿い かつての西外惣構は東別院沿いに位置しています。堀跡の水路には辰巳用水の分水と兼六園の落水が合わさって流れています。 駅通りせせらぎ 金沢駅から近江町市場に通じる駅通りの歩道には辰巳用水のせせらぎが流れ、まちに潤いを与えています。 金沢駅もてなし広場 水景・噴水 金沢駅兼六園口にあるもてなし広場正面には、辰巳用水が運んだ犀川の水が噴水となって来訪者らを出迎えています。 金沢駅もてなし広場 水景 金沢駅の兼六園口にあるもてなしドームと鼓門。もてなし広場の水景には辰巳用水の水が利用されています。 辰巳ダム 下流金沢市街地中心部を洪水から守るとともに、地域の歴史と伝統を尊重したダムです。 東岩取入口 辰巳用水の取入口は寛永9(1632)年に雉の取入口が完成後、河床の低下等により安政3(1885)年に更に上流約470mに移され、現在の東岩取入口になりました。 板屋神社例大祭 板屋神社は小高いところで且つ少し辺鄙なところにあるため、辰巳用水関係者や地域の住民が懸命に維持管理を行っています。 隧道点検 年1回秋に隧道区間全体を点検しています。崩落、土砂の侵入などの状態を点検し、補修工事や維持管理に必要な予算確保などを行います。 三枚水門 文化六(1809)年辰巳用水絵巻にも描かれており、管理用の余水吐き(余分な水を放出する場所)等として使用されてきた水門です。 隧道補修 三枚水門下流地点 隧道の天井崩落を抑えるため、木材による支保で補修されています。史跡指定の素掘りの隧道を後世に残すため、補修にコンクリートを用いることができません。 清浄が滝水門 隧道排水 「しょうじょうがたき」と呼ばれる滝が、辰巳用水隧道上の沢を流れ落ちています。その脇に清浄ヶ滝水門(放水門)があります。 隧道補修 三段石垣付近 三段石垣付近の区間では切石積みにより補修されいます。 隧道補修 日吉神社付近 日吉神社付近では隧道天端崩落が随所で見られ、天井木や切石積みで補修されています。 隧道補修 末町地内滝乃荘下流地点 この界隈では地山がもろく、各所で切石を用いた側壁積みや巻立てで修復されています。 隧道補修 末町地内滝乃荘下流地点 鉄骨による支保で隧道天井を保護しています。 隧道補修 犀川浄水場上流地点 犀川浄水場手前の区間は地山が緩いことから、切石巻立てによる補修が施されています。 江浚い 末町地内 毎年3月最終日曜日に、灌漑に入るための準備として、用水路の江浚い(土砂上げなどの掃除)が行われます。今後は更に応援が必要な状況です。 大道割水門 辰巳用水隧道が大道割の谷を大きく迂回する場所に、大道割放水門があります。かつての谷の一部は埋め立てられ、今は緑化木センターがあります。 遊歩道 涌波地内 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。昔は馬で管理をしていたそうです。 遊歩道 涌波4丁目付近 辰巳用水と並走する遊歩道は約2kmで、四季折々の自然豊かな散歩道として市民に親しまれています。 遊歩道 涌波4丁目付近 自然豊かな辰巳用水と遊歩道。 江浚い 錦町交差点付近 毎年3月最終日曜日に、灌漑に入るための準備として、用水路の江浚い(土砂上げ)が行われます。今後は更に応援が必要な状況です。 江浚い 小立野1丁目地内 毎年3月最終日曜日に、灌漑に入るための準備として、用水路の江浚い(土砂上げ)が行われます。今後は更に応援が必要な状況です。 小立野水門 小立野二丁目南交差点横には、洪水時に雨水排水を制御するための制水門と放水門があります。ここを境に上流側を辰巳用水土地改良区が、下流側を金沢市が管理を担っています。 亀坂水門 以前は分水門として使用されていましたが、現在はバイパス水路制水門として使われています。 辰巳用水専用管管理蓋 兼六園専用管の位置を示す管理蓋が道路上の所々に設置されています。 板屋神社遥拝所 金沢神社 兼六園近くの金沢神社境内に板屋神社の遥拝所が設けられています。