辰巳用水は金沢城内外の火災に対する水利の不便さを解消するために、三代藩主前田利常が江戸幕府から許可を得て、小松の町人板屋兵四郎に命じてつくらせたものと伝わっている。
1632(寛永9)年の夏(旧暦の4月)より工事に着手し、9ヵ月で完成させた。用水は金沢城から見て辰巳(東南)方向に伸びているのでこの名が付けられた。取水口から、犀川に沿う小立野台地の崖斜面近くのトンネルを経て、犀川浄水場付近にまで至る。そこから錦町付近までは犀川に近い台地斜面を開渠で流れ、その後、小立野台地面を下って兼六園に至り、次いで逆サイフォンにより金沢城に水が届けられた。
その後、安定した水量を確保するため取水口を延伸し、豪雨や地震による斜面崩壊で土砂が流入しやすい開渠部をトンネルに変更した結果、現在の姿になっている。辰巳用水は防火や飲料、堀への注水、農業用水など多面的に使われ、今も兼六園を始め、他の用水や中小河川、排水路を通じて城下町金沢の歴史的・文化的景観を創出している。辰巳用水は江戸時代の優れた土木技術を知る上で極めて貴重であることから、2010(平成22)年に上流部,中流部を中心とした延長約8.7kmが国史跡として指定され、また2018(平成30)年に取水口から金沢城までが「辰巳用水関連施設群」として土木學會選奨土木遺産に認定された。
辰巳用水が水工学・土木工学的に優れている点
- 標高の示されている地図がほとんどなく、高い精度の水準測量の器械もない時代に、金沢城よりも標高が高く、1年を通じて適量を確実に取水できる場所を短時日で発見していること
- 開渠築造が困難な急傾斜地ではトンネルを築造し、崖に横穴を約30m 毎に設け、トンネル掘削の同時施工を可能にするとともに、ずり出し、換気、採光としても使う、などの工夫を編み出していること
- 掘削に際しては上下流から導坑を掘り、貫通させた後に切り広げる「先進導坑工法」を用い、切り広げの際にトンネル壁面にタンコロ穴を穿って灯明を置いてまわりを照らし作業効率を高めたこと
- 上下流からの掘削で導坑がすれ違わないように、水平面で見ると「く」の字となるように掘り進めて失敗を防ぎ、僅か9 ヶ月という短期間での工事を成功させたこと
- 兼六園と金沢城を隔てる百間堀(ひゃっけんぼり)を横断させ対岸の金沢城へ用水を届けるために、当時としては他に見られない大規模な10m を超える水頭差を克服する逆サイフォンを築造していること